巡航速度
早朝から車で名古屋へ向かう。四時間ほどかかる。
車の運転は好きである。といっても車にこだわりがあるわけでも、スピードを出したいわけでもない。ただ巡航速度で流れていく景色のなか、ぼーっといろんなことを考えながらハンドルを握るのが好きなのだ。
運転というのは面白いものだと思う。ほとんど意識することなく、人間にとってかなり難しい判断を絶え間なく続けている。前の車との距離、隣の車線の速度、合流の間合い。
一つひとつは判断と呼ぶほどの実感もないまま処理されていく。ましてやこれは、自分だけでなく他人の命を脅かすことだってある行為だ。皿洗いや引っ越し作業とは、そこが決定的に違う。皿なら割っても皿である。それなのに僕は、パーキングエリアで何を食べるかを、かなり真剣に考えている。
取り返しのつかないことを、上の空でやっている。しかも上の空でやったほうが、たぶんうまくいく。意識しはじめると、かえってぎこちなくなる。慣れというのはそういうもので、いちばん大事なところを意識の外に預けてしまうことで、身体が自動的に反応してくれる。
高速に乗ってしまえば、身体は勝手に運転をしていて、頭は別のところにいる。思考は飛び石を渡るように、次々と飛んでいく。最近読んでいる本のこと。新しい仕事のアイデア。最近ご無沙汰のあの人に連絡してみようかな。
どれも、机の前に座っているときにはなかなか出てこない。座って考えようとすると、その一つに留まろうとしてしまう。運転中は留まれない。留まれないおかげで、遠くまで行けているのだと思う。
そして、道中に考えたことのほとんどを、車を降りた時点で忘れている。それを惜しいと思ったことは、あまりない。結局忘れてしまう程度のものだったってことなんだろう。
パーキングエリアではカレーを食べた。いつだって結局カレーなんだから、考えるだけ無駄である。
暇と退屈の倫理学を読み終えたので、友人からおすすめされた、澁澤龍彦『快楽主義の哲学』を読み始める。