メロディー

10月5日。あの頃はなにもなくて
家入一真 2026.10.06
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友人たちと、脳血腫で入院した友人のお見舞いに。この年齢になると、こういったことが増えてくる。

入院当初は言葉や記憶に障害が出ていたらしいが、リハビリの甲斐あって、順調に回復しているようだった。たまたまパートナーが家にいて、すぐに救急車を呼べたのが幸いした。少しでも処置が遅れていたら、重い後遺症が残ってもおかしくなかったという。軽く済んで、本当によかった。

病院の談話室で小一時間ほど話したのだが、むしろ我々のほうが「あの時の、えーと、あれ、なんだっけ……」を連発していた。僕はもともと人の名前と顔が覚えられない(というか、繋がらない)タチだが、物忘れが年々ひどくなっている気がする。これでは、どっちが見舞いに来たのかわからない。

せっかく久しぶりに集まったのだから、と飲みに行くことにした。渋谷をしばらくうろうろして、結局、なんとなく目に入った居酒屋に入った。だだっ広い店内に客は我々だけ。顔じゅうに散らばるピアス、色とりどりの髪。働いているのは、たぶん十代の子たちだ。

ハイボールを三つ。刺身の盛り合わせと、唐揚げと、ポテトサラダ。

途中で流しのギター奏者がやってきた。せっかく盛り上がってきた会話をさえぎられたくなかったが、客が我々だけということもあり、なんとも断りづらい雰囲気に。差し出されたソングリストから、玉置浩二の「メロディー」を頼んだ。

がらんとした店内に、お世辞にも上手いとは言えない「メロディー」が響く。切ない歌詞が、より侘しさを増幅させる。しまった、田園にしておけばよかった。会話は完全に止まり、三人ともテンポに合わせて、右に、左に、静かに揺れていた。

そのとき、友人がぽつりと言った。

「この感じ、なんだか記憶に残りそう」

わかる。

腹がよじれるほどの笑い話でも、度肝を抜かれるハプニングでも、息をのむような絶景でもない。記憶に妙にくっきり残るのは、案外こういう場面だったりする。現実が数ミリだけずれて、ピントがわずかに外れている。誰も悪くないのに、何かがほんの少しだけ噛み合っていない。

面白い話や劇的な出来事は、人に話すたびに物語になっていく。筋立てが整い、わかりやすいオチがつく。語り直すたびに、話は少しずつ盛られていく。そしていつの間にか、現実のほうが言葉に上書きされてしまう。

シュールな場面には、落としどころがない。笑うところも、泣くところもない。人に話しても「で?」と返されるのが関の山。言葉にしようがないから、言葉に置き換わることもない。だから映像のまま、手つかずで残るのかもしれない。ギターの微妙に外れた音、やたら薄いハイボール、隣で揺れる友人の肩。

記憶はたぶん、大事なものだけを選んで残しているわけではない。むしろ、意味づけに失敗したものほど、生のまま残ってしまう気がする。

失いかけた言葉や記憶を、懸命に取り戻そうとしている友人。そのそばで、名前ひとつ出てこない僕たち。覚えておきたいことほど抜け落ちていき、覚えておこうとも思わなかったことが、勝手に残っていく。記憶というのは、どうやら持ち主の言うことをあまり聞いてくれないらしい。

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