軽トラの侘び寂び

8月20日。飛ばしすぎて、もはや記憶がない
家入一真 2026.08.26
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今日も一日、家の荷物の運び出しをしていた。

先日、友人に軽トラを借りた話を書いた。あの軽トラには、実は前日談がある。彼は最近、急に軽トラを買ったのだ。正確に言うと、外車のミニから国産の中古の軽トラに買い替えた。ミニから、軽トラに、である。理由は知る由もない。四十代になって、なにかしら思うことがあったのだろう。

そして、わざわざドヤ顔で家まで見せつけに来た。イラッとした。

「時代は軽トラっすよ」と言う。「この車にはワビサビがあります」とも言った。イラッとした。もともと軽トラに対して悪い感情なんて何もなかったのに、彼のせいで、軽トラを見るたび少しイラッとするようになってしまった。軽トラに罪はない。あと、侘び寂びという言葉を、そんなに気軽に使わないでほしい。

で、結果的に、僕はその軽トラに助けられてしまったわけである。

荷台に積んで、降ろして、また積んで。何度も往復しているうちに、だんだん、軽トラいいかも、と思い始めてしまった。よく働くし、気を使わなくていいし、なんというか、可愛い。悔しいことに、彼がドヤ顔で自慢したくなる気持ちが、少しわかってしまった。侘び寂びはよくわかんないけど。

四十代を超えて、中年の危機というほどではないにせよ、違う自分になりたくなって、急にそれまでと違うものに飛びつく。その気持ちは、わからなくもない。今までの自分が選ばなかったものを選ぶことでしか、確かめられない何かがあるのだろう。ミニを降りて、軽トラに乗る。なんだか、人生のメタファーのようにも感じる。彼もまた、変化の時なのだろうか。誰かの速度ではなく、自分の時間を生きようとしているのだろうか。

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