パパじゃなくなる日
行きつけのワインバー、stand fogのヒロキくんが、ふとつぶやいた。
「家入さんのお子さんたち、いつも『ヒロキー!』って呼んでくれるじゃないですか。あれ、すごく嬉しいんですよ」
少し間があって、
「でもいつか、みんな大きくなって、照れくさくなって、呼んでもらえなくなるのかなって。想像したら、今から寂しくて」
ちょうど料理の皿が下げられたところだった気がする。グラスの底に、ワインが少しだけ残っていた。
人は歳を重ねるなかで、どこかで無邪気ではいられなくなる。僕にも、あれだけ遊んでくれた親戚の叔父さんに、ため口と敬語が混ざりはじめた時期があった。あれは何歳だったんだろう。思い出せないくらい、さりげなくやって来た。気づけば「お父さん」もいつの間にか「親父」になっていた。
うちの子が通う学校では、子どもたちがスタッフをあだ名や下の名前で呼ぶ。親を名前で呼ぶ子も少なくない。そこには「パパ」「ママ」とは少し違う、友人のような横並びの関係があるように見える。
裏を返せば、「パパ」という呼び方には、子どもでいられる許可のようなものが含まれている気がする。甘えていい。頼っていい。まだ守られていていい。
呼び方は、関係そのものなのだと思う。一度変わると、もう元には戻らない。大人になってからも、何度かそれを思い知った。名前で呼び合っていた人から、ある日を境に肩書きで呼ばれるようになったときの、あの小さな寂しさ。