パパじゃなくなる日

10月2日。これからまた日記がんばる。
家入一真 2026.10.03
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行きつけのワインバー、stand fogのヒロキくんが、ふとつぶやいた。

「家入さんのお子さんたち、いつも『ヒロキー!』って呼んでくれるじゃないですか。あれ、すごく嬉しいんですよ」

少し間があって、

「でもいつか、みんな大きくなって、照れくさくなって、呼んでもらえなくなるのかなって。想像したら、今から寂しくて」

ちょうど料理の皿が下げられたところだった気がする。グラスの底に、ワインが少しだけ残っていた。

人は歳を重ねるなかで、どこかで無邪気ではいられなくなる。僕にも、あれだけ遊んでくれた親戚の叔父さんに、ため口と敬語が混ざりはじめた時期があった。あれは何歳だったんだろう。思い出せないくらい、さりげなくやって来た。気づけば「お父さん」もいつの間にか「親父」になっていた。

うちの子が通う学校では、子どもたちがスタッフをあだ名や下の名前で呼ぶ。親を名前で呼ぶ子も少なくない。そこには「パパ」「ママ」とは少し違う、友人のような横並びの関係があるように見える。

裏を返せば、「パパ」という呼び方には、子どもでいられる許可のようなものが含まれている気がする。甘えていい。頼っていい。まだ守られていていい。

呼び方は、関係そのものなのだと思う。一度変わると、もう元には戻らない。大人になってからも、何度かそれを思い知った。名前で呼び合っていた人から、ある日を境に肩書きで呼ばれるようになったときの、あの小さな寂しさ。

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