熱海のストリップ

10月8日。赤いリンゴにくちびる寄せて
家入一真 2026.10.09
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今日も東京で仕事。合間を縫って、友人のメガネブランド、ayameの展示会へ。

ここ最近は、ayameしかかけていない。展示会に行けば新作を買うし、展示会でなくても買う。オンラインでも買う。そんなに買って被らないのかと自分でも思うのだけど、不思議と被らない。

子供の頃から目が悪く、ずっとメガネだった。そのうち色んなデザインのメガネを買うようになり、毎回度付きレンズを入れるのも面倒だなと、コンタクトをつけるようになった。つけたまま寝落ちすることが多く、なぜか朝にはコンタクトがどこかへ消えている。仕方なく新しいものをつける。これを繰り返していたら、ある日、瞼の裏から乾いたコンタクトが3枚ほど重なって出てきた。気持ち悪い。

これはいかん、とレーシックを受けることにした。角膜の内側にレンズを入れるICLという手術も出たばかりだったが、僕は角膜が薄いらしく適応外。結局レーシックになった。手術は30秒ほどで終わった。術後で涙目だったせいもあるのだろうけど、終わった瞬間から世界がキラキラと美しく見えた。

それ以来、何の気兼ねもなく伊達メガネを買えるようになった。目が良くなってからの方が、メガネを買っている。

ただ、失ったものもある。

コンタクトもレーシックもする前は、見たくないものがあればメガネを外せばよかった。パーティのような人の集まる場所、人前で話すとき、初対面の人と会うとき。緊張しそうな場面では、あえてメガネを外し、視界をぼやかすことで、なんとかやり過ごしてきた。

若い頃、友人たちとノリで熱海のストリップバーに行ったことがある。入ってみると客は僕らだけ。案内のおばあちゃんに、最前列へと追いやられた。ここから先は書くのも憚られるのだけど、高齢の女性によるさまざまなあられもない芸を、かぶりつきで見ることになってしまった。

僕は、そっとメガネを外した。輪郭が溶けた舞台は、ちょっとしたファンタジーのようだった。隅っこに置かれた古ぼけたラジカセから流れていた、「赤いリンゴにくちびる寄せて」から始まるリンゴの唄を、今でも思い出す。あまり思い出したくない。

今はもう、メガネを外したところで、何もぼやけてはくれない。

つくづく、メガネとは不思議なものだと思う。もともとは目の悪い人のための道具だったのに、いつの間にか、目の悪くない人までおしゃれとしてかけるようになった。何かを補うための道具が、そのまま装いになる。

僕が子供の頃、メガネをかけている子はまだ少数派で、みんなと違うことがなんとなく気まずかった。少しずつメガネが当たり前になっていっても、20年前くらいまでは「それ、伊達?」なんてよく聞かれたものだ。わざわざ聞くということは、「それ、おしゃれでかけてるんですか?」なんて聞かれているようで、なんだか申し訳ない気持ちになった。今ではそんなことを聞いてくる人はいない気がする。

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