そういえば、映画を撮りたかった
この時期、県外から普段この辺りを走らない人たちが大量にやってくる町に住んでいる。クラクションを鳴らす人、やたらとスピードを出す人、無理やり割り込んでくる人。普段は穏やかなこの町全体が、少しだけ苛立っている。
好きでこの町に住んでいるのだから、年に何度かくらい混んだって文句を言う筋合いはない。それはわかっている。わかっているのだけれど、渋滞で動く気配のない車のハンドルを握っていると、口のほうが勝手に動きはじめる。おいおい、とか、今のはないだろ、とか。誰にも届かない小言を、車の中でずっとブツブツ言っている。少しだけ、性格が悪くなった気がしてしまう。
夜はまた近所のstand fogへ。店主と二人きりで、気づけば二本あけていた。
朝あれだけ車のことで腹を立てていたのに、夜もまた車の話をしていた。トナラー、という言葉を教えてもらう。がらがらに空いているのに、わざわざ真横に停めてくる車のことをそう呼ぶらしい。横に車がないとうまく停められない人がいるんですよ多分、と店主は言っていた。
僕はどちらかというと、いちばん端の、誰もいないところに停めるほうだ。駐車場でも、電車でも、飲食店でも。それでも、わからなくはない。基準になるものが横にないと、自分がどこにいるのか測れない。そういうことは、駐車場に限らずいくらでもある。そんな話をしながら、僕はカウンターの、店主の目の前に立っていた。
唐突に、そういえば夢とかあるんですか、と聞かれた。
この質問にはいつも戸惑う。ないんですよ、なんて答えると場が少し寂しくなるし、適当に事業の話をすると嘘くさい。夢を持っている人が偉いということもないはずなのに、持っていない、と言うときだけ、少し言い訳がましくなる。だからこそ、夢という言葉に、少しだけアレルギーがある。
夢というのも、隣に停まっている車みたいなものなのかもしれない。あれがあるおかげで、自分がまっすぐ停められているかどうかがわかる。
酒が深くなってきて思い出した。いつだったか、映画を撮りたいと思っていた時期があったことを。
忘れていたのだから、たいした夢ではなかったのかもしれない。あるいは、忘れていられるくらい長いあいだ、どこかに置いたままにしていたのかもしれない。どちらなのかは自分でもわからない。いつか撮るのかもしれないし、撮らないのかもしれない。そんな曖昧なものを、人は夢とは呼ばない。でも。