誰かの人生の断片
近所のフリーマーケットをひやかしていたら、ワインバーのオープンテラスに知った顔があった。どうぞ、とグラスを差し出されたらもう終わりで、断る理由なんてひとつも思いつかないまま席についてしまう。まだ日は高い。青空の下で飲むワインは、なんというか、ずるい。グラスが空く前に次が注がれて、気づけばけっこう酔っていた(ありがとうございます)。
酔ってすっかり忘れていたが、そのあと子供たちと映画を観に行く約束をしていた。なんとか間に合ったものの、はじまって五分もしないうちに僕は寝てしまった。子供たちが楽しそうに観ている気配だけを、体の右半分で遠くの水面みたいに感じていた。記憶がないのに、子供たちと映画を観た、という事実だけが残っている。父親って、そういうものかもしれない、と自分に都合よく思う。
夜はまた一人で近所のワインバー、stand fogへ。ワイン作りの勉強のために明日フランスへ発つという知人の、ささやかな送別会が行われていた。ささやか、と言いながら、たいていこういう会がいちばん長引く。最後、彼女は泥酔して出窓のカウンターに転がって寝ていた。これから異国に発とうとする人間の姿ではない。誰かが上着をそっとかけ、そして誰も起こさなかった。本人不在のまま、送別会の夜は更けていく。
無事に飛行機に乗れたのだろうか。
知り合って間もない知人ではあるけれど、こうして人生の分岐点みたいなタイミングでたまたま飲んで、僕は彼女の出発の前夜を、少しだけ預かってしまったような気持ちになる。一年後、彼女がフランスでどんな顔をしているのか僕は知らないし、たぶん知らないままだ。関係の深さに関係なく、僕たちは誰かの人生をこういう断片のかたちでいくつも預かって、それを一生返さないまま生きているのだと思う。